ツンドラ

 

 

ツンドラ。それは地下に永久凍土が広がる北極海沿岸地域のこと。

 

けれど私にとってのツンドラといえば、まず、あのロシア料理店が頭に浮かびます。福岡県民に永いこと愛されてきた、1960年に中央区大名に創業されたロシア料理店です。患者さんとの雑談の中でも普通に『この前、ツンドラに行った時にね~』なんて弁もあり、確かに多くの人に親しまれていたという証拠と思われます。

 

そのロシア料理店が、2021年5月7日に閉店の運びとなり、またまた昭和の名残が福岡から一つ消えるのかと思うと、寂しさが身に迫ります。

 

(外観, 母, 姉 2021/5/1)

(外観, 母 2021/5/1)

(店内の様子 2021/5/1)

 

きっと誰しもあの場所、あのお店、あの人など、『あの時は気にも留めていなかった』目にしていたモノが消滅してしまう時、何とも言えない寂しさを感じてしまうという経験はあると思います。『思い出が詰まっている』モノというのは、かけがえのない大事な想い出です。

 

60年近く続いた料理店であったという事実を前にすると、この料理店にも自分にも歴史を感じます。そして少なくとも私が幼稚園児だった頃から現在に至るまで、お料理内容も、お皿も、全く変わっていない。時代の流れに迎合せず、だからこそ多くの人に愛された料理店だったのだろうと思います。

 

因みにこの写真は、ツンドラの定位置にず~っと置いてあるマトリョーシカ人形です。パッと見、何個あるか分かりますか?※解答はブログ最後に記載しました。

(2021/5/1)

 

私が子供の頃は『今日はお爺ちゃんたちと一緒ね』『お久しぶり』などと仰る(102歳で亡くなられた)元オーナーが、いつも出入り口付近のレジの所に座っていらっしゃいました。それはレストランとしては普通のことかもしれないけれど、閉店してしまうとなると、とても特別なことであったように思えてしまいます。数多の飲食店がある中で、あえてツンドラ閉店のニュースが新聞に載っていましたが、やはり多くの人たちが同じ思いでいるんだなと確認しました。

 

 

こんなに愛されていた料理店があったでしょうか。私も多くの人たちと同様、名残惜しい…。

 

 

なので今日は特別な気持ちで、ツンドラでの最後の晩餐を堪能してきました。コロナ禍で予約制限されているというお店の配慮もあり、安心して静かに過ごすことができました。そして普段は料理の写真なんて絶対に撮らないけれど、今日ばかりは残しておきたかったので写真に収めさせていただきました。

 

 

まず、いつもの席でいつものコース料理を注文。

(左から:妹, 私, 弟, 姉 2021/5/1)

 

私の知る限り40年近く全く変わらない前菜。

(2021/5/1)

 

最近は前菜を各自盛りに変えたとのことでしたが、『最後まで、いつも通りの大皿にまとめて盛って欲しい』と我儘な母の希望を快く聞き入れてくださいました。

(左から:母, 弟 2021/5/1)

 

世界一のピロシキ。

(2021/5/1)

 

亡きオーナーがビーツの代わりにトマトピューレを使用して考案した、ツンドラ独自のボルシチ。

(2021/5/1)

 

ステーキ。付け合せの種類も全く変わらない。

(2021/5/1)

 

子供の頃には一番好きだったグリバーミ。

(左から:妹, 私, 弟, 姉 2021/5/1)

 

変わらないアイスカップに乗ったアイスを食べ、

(2021/5/1)

 

ロシアティーを飲んで完結。

(妹 2021/5/1)

 

毎度のごとく、ほろ酔い気分で気持ちよく、残ったウオッカも忘れず持って帰ります。

(2021/5/1)

 

見慣れたマトリューシカの前でお馴染みのボーイさんへ会計。こんなに満足してお腹がいっぱいになるのに良心的な値段だったということも、人気だった理由なのだろうと思います。

(正面向き:ボーイさん 2021/5/1)

 

ツンドラとのお別れ。

いつも良くしていただき有難うございました。

(左から:妹, 弟, 姉, 現オーナー, 母, 私, ボーイさん 2021/5/1)

 

 

 

 

解答:マトリューシカは17個並んでいます

 

 

2021年05月01日