壱万円札

 

新札が刷られる。

新しい壱万円札だ。

 

(造幣局HPより)

 

ビットコイン、イーサリアムといった仮想通貨もある現在だが、やはり、お札はお札で興味深い。とはいえ私は難しい金融事情には全く精通していないし、また、お金をうまく転がす手腕も無い。だから単に、新札を目にした瞬間に個人的に色々と感じるところがあるだけだ。

 

福沢諭吉が何を成したとか、歴史的にどうだったとかではなく、私にとって『諭吉』は、もはや単位として存在していたようなものであり、その『諭吉』が消え失せていくことが、単純に淋しい。

 

そして、個人的にはアラビア数字よりも漢数字を目立たせて欲しかった…。外国人にも分かりやすくするというグローバルな見解の元にアラビア数字が中央にあるとのこと。それに異存はないが、感情的には壱万円札の重みが薄れたように感じる。子供の頃に流行っていた十億円札なるおもちゃのお札には、アラビア数字で仰々しくゼロが9個記載されてあったが、本物の日本の紙幣となると、やはり漢数字が中央に有って欲しかった…。

 

一方で、新札に施された偽造防止技術には驚かされる。世界初の最先端のホログラム技術が導入されているという。紙幣を傾けることで肖像画が立体的に見えるなんて、本当かしら。見るのが楽しみだ。

 

皆それぞれに、それぞれの価値を、紙幣に見出していると思う。仕事の報酬として充実感や達成感を得るために頑張ったり、満腹感を得るための物を買う手段でもあり、大いなる快適や快楽を得るために支払うべき代価でもある。ある観点からは『紙幣は単なる紙である』と言うが、普段生活するうえでそう言ってしまったら、身も蓋もない。

 

新札を発行することの意味や日本経済 云々はさておき、ふと楽しませてくれた造幣局に、ありがとう。

 

(造幣局HPより:造幣局桜の通り抜け道)

 

特に価値はないけれど、今は亡き大好きだった祖父に貰ったお守り代わりの百円札(板垣退助)と一緒に、福沢諭吉を一枚、しまっておこうと思う。

 

 

2021年09月03日