総理大臣
  1.  

 

当院には色々な絵を飾っています。

 

有難いことに患者さんにも評判で、それらの絵に興味がある方と絵の前で雑談することもしばしば。前院長の代から飾っている絵もあれば、私が入れ替えた絵もあります。どちらにしても楽しみながら飾っているので、患者さんから絵について話しかけられると、とても嬉しく感じます。

 

これは当院の廊下に飾っている絵の1つ。

『歴代総理大臣 (画:土田直敏)』です。

 

 

『お大事に』と声をかけた後、患者さんが病室から廊下に出られ、じ~っとこの絵と向かい合って佇んでいる姿を何度も見かけます。

 

恐らく『この総理大臣はバカヤロー解散したな~』『この総理大臣は所得倍増計画を発表したな~』『この総理大臣は阪神淡路大震災で大変だっただろうな~』『この総理大臣は自衛隊をイラクに派遣したな~』なんて振り返りながら、自分の過去と一緒になぞっているのだと思います。

 

私自身、小学生の頃に『3%の消費税』『リクルート事件』がテレビのニュースで流れていたことを記憶しており、詳しいことは分からない年齢だったけれど、当時、総理大臣が竹下登であったことは認識していました。私が特別に政治に興味がある小学生だったのではなく、小学生どうしの会話の中で普通に『3%の消費税』『リクルート事件』『竹下総理』という単語が飛んでいたのです。

 

 

今の小学生たちもきっと『安倍(元)総理が撃たれた』と話題にしていることでしょう…。総理大臣が殺害されるというのは、小学生でも衝撃的に感じるであろう大事件だ。

 

 

1921年に原敬が東京駅で刺殺された事件しかり、1930年に浜口雄幸が東京駅のホームで銃撃された事件しかり、1932年に犬養毅が青年将校に銃を向けられ『話せばわかる』と制止するも『問答無用』と撃たれた五・一五事件しかり、これら総理大臣殺害事件もまた、当時の多くの人たちにとっては記憶に残る大事件だっただろう。

 

犬養毅の死亡記事東京朝日新聞 1932年5月16日

 

五・一五事件の事件現場である官邸の日本間を訪れたチャーリー・チャプリン(世界の喜劇王)が、血に染まった畳があった部分を見ている。事件前日(1932年5月14日)に来日したチャプリンも標的だったとされている。サンデー毎日 1932年6月12月号

 

 

 

総理大臣は日本の内閣の首長たる国務大臣であり、緊急事態の布告を発する権限を持つ。すなわち国益を最優先して采配を振るわなければならない。

 

したがって、私 個人の意見や存在は無視されようとも、総理大臣は、日本国そのものと大概の国民を守るという責務を全うしなければならない。

 

 

安倍晋三さんは、政治家一家に生まれ、総理大臣を経験し、銃弾に倒れる最期まで政治家として生きた。

 

彼の政治手腕について賛否両論はあろうが、少なくとも私よりも国単位で物事を考えていたことは確かであり、地方分権の数いる政治家よりも各国の主要人物と対等に渡り合える人物に見えた。その点において、私 個人的には彼は日本を動かせる政治家であると期待し、応援していた。

G7サミット会場にて日本経済新聞 2018年6月10日

 

小学生であればいざ知らず、政治的動向が直結する生活を送っている現在の私にとって、総理大臣の方針は無視できない。むしろ否応なしに関わらざるを得ない。安倍内閣は、実に9年間近く政権をとり、2019年に発生した新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に直面した初の政権であることから、私にとっては特に存在感が大きく、また、翻弄された。

 

 

政治も医療も対人関係が根本にあり、人の生活と命にかかわる事象であるが故に、机上の空論では納得されず失敗は許されない。私が患者さん個人のことに限らず大局的に物事を考えなければならない時、反対に患者さん個々について対応しなければならない時、しがない町医者ながら責任を果たさなければならないという重圧がある。

 

 

まして総理大臣の重圧たるや計り知れない。

 

 

7月8日 午前診療中、安倍(元)総理が奈良で応援演説中に銃撃されたとの速報が出た。私は、待合室でテレビを見ながら待っていた患者さんが診察室に入ってきて教えてくれて初めて、その事件を知った。それから『犯人はすぐに捕らえられたよ。』『散弾銃で2~3mの背後から撃たれたみたいですよ。』などの情報を患者さんから伝え聞きながら午前診療を続けていた。

 

学生時分に法医学で学んだが、銃創は、弾丸が持つ運動エネルギーが大きいため損傷が弾丸の通過した部位にとどまらず周囲に拡がる特徴がある。したがって、特に密度の高い臓器である筋(心筋も含む)や骨や肝臓などは、密度が低い肺や腸管などと比して損傷が大きい。そして当然ながら大血管損傷が有れば緊急性と重症度が格段に上がり生存率が20~30%は低下する。射創管(体内の弾丸の通り道)は周囲の組織を巻き込むため少しずつ大きくなり、結果として射出口(弾丸が貫通した時の出口部分)は大きく不規則になる。散弾銃を用いて背後からの遠射(1m以上)といっても、散弾銃の装弾数は数個~300個以上のものまであるため、損傷程度は症例ごとに依る。

 

私は自分で報道を見たり聞いたりしていない段階だったので、射入口の位置(撃たれた位置)も分からないし、自作の散弾銃を用いたらしいとのことであれば、余計に現場の状況の想像がつかなかった。素人が作ったお粗末な散弾銃であれば装弾数は少ないかもしれない…脳幹や心臓や大血管の正確な位置を知らない犯人だったとして、的を絞らずに下手くそに撃ったとしたら、肺損傷だけで済むかもしれない…など考えながら普段の診療を続けていた。

 

昼休み時刻(13:00)になってやっとテレビのニュースを確認し、それからネットでこの事件の投稿動画をたくさん検索しながら、あれこれと推察した。

背後から撃たれたにも拘らず前頸部付近に血液が付着している画像を見た瞬間、ギョッとした。(大動脈弓部あるいは鎖骨下動静脈の損傷があるのか?)また、閉眼している安倍さんの顔の写真を見た時 ‘瞳孔が見たい’ という気持ちにも駆られた。(脳幹が温存され瞳孔が開いていなければ良いのだが…) そして搬送されている画像を見るに、ストレッチャーに乗って心臓マッサージをしている者はいない。自動心臓マッサージの装着はタオルが邪魔して確認できない。しかし胸部はやや動いているようにも見える。(とすれば自動心臓マッサージは装着している?) 搬送者が掲げている点滴パックは単なる補液に見え、もしやFFPかもしれないが少なくともRBCには見えない。(大量出血は免れて心臓マッサージは継続されている?とにかく弾丸が心臓や大血管を避けていれば良いが…)

 

得た情報を良い風に解釈しながら救命を期待する一方で、心停止が明らかだったとしても事件現場で開胸するには血液が無ければ戦えないということは百も承知。そして実際、そういう画像も情報も全く流れていない。撃たれてからの時間経過を計算するに、かなり救命困難な状況であるとも思われた。

 

  1. 輸血で使用する血液製剤のうち、左はRBC(赤血球液-LR. RCCやMAPと呼ぶことが多い. 赤色)、右はFFP(新鮮凍結血漿-LR. 黄色)です。その他、濃厚血小板-LR、アルブミン製剤など色々あります。輸血パックの内容量は1パック2単位です。200mlの献血から作られる量を1単位(RBCであれば140ml, FFPであれば120ml)としています。例えば人が大出血している医療ドラマのシーンで『RCC10単位オーダーして!』なんて台詞は『赤血球液 5パックを検査部に注文してください』という意味。また、FFPは冷凍保存されているので『FFP溶かして!』なんて台詞を聞いたことがある人もいるのではないでしょうか。因みに人間の血液量は、約体重の13分の1リットルです。体重60㎏の人の血液量は60÷13=4.6ℓくらい、つまり1ℓ牛乳パックを満杯にして5個分弱です。血液製剤には血液型(ABO式とRh式)が記載されているので、輸血を行う場合まずは、患者の血液型と一致している血液型のパックを準備します。その後、クロスマッチ試験(交差適合試験とも言う)を行って患者の不規則交代の有無を確認します。血液製剤と患者の血液をちょっ混ぜてみて時間をおいて、相性が悪くないかを確かめるのです。輸血というのは拒絶反応を起こしては大変な事態なので、注意深く行う必要があります。ただし手術中の大出血や外傷による大出血、大動脈瘤破裂で救急搬送中など、時間的余裕が無い場合はクロスマッチ試験を省略する場合があります。それは大体『ノンクロス』と呼ばれており『時間が無いから交差適合試験を省略する』という意味です。非常に稀なケースですが、血液型すら分からない場合はO型のRBC輸血をします。→ もしも事件現場で急いで安倍さんに輸血を行おうとする場合、血液型は調べればすぐに判るであろうため、ノンクロスで安倍さんの血液型の血液製剤を点滴するか、あるいは点滴スピードは遅いので、大きめの注射器で血液製剤の注入を繰り返す(輸血ポンピングという手技)を行います。

 

午後診療の時刻(14:00)になったので、ネットの画像検索は止めて診察室へ戻った。

 

因みに病院では ‘心肺停止’ の患者が運ばれて来た以上、総理大臣であろうと誰であろうと蘇生処置を施す。当然だが ‘心肺停止’ の患者に何もしなければ死ぬので、何でもやる。それが蘇生処置というものだ。どこまでやるかについては、その場にいる者たち(家族を含む)の判断でしかない。病院勤務をしていれば、心肺停止の患者の対応をすることは日常でよくあるのだが、あれこれ事情を考える時間は無く、その場で使える手段をフル活用し処置に没頭するしかない。逆に、医師が ‘心肺停止’ の患者を前にしてする仕事というのは、蘇生処置しかない。奈良県立医大の医師たちが、それを粛々とやっている姿が目に浮かぶ。

 

午後診療を始めて夕方に差しかかった頃、安倍(元)総理は家族が病院に到着して間もなく死亡したとのニュースが流れた。

 

救命の立場に立って事を考えているうちは希望的観測をしていたが、一転、死亡ニュースが出されるまでの経過を改めて振り返ると、やはり ほぼ即死であったと考えるのが妥当だ。『事件現場では安倍さんは呼びかけに対して手を握り返した』との報道があったが、結果論として言えば、それは人の臨終の場ではよくある光景だ。まして『家族が到着した時に安倍さんが何らかの反応を示した』という報道が事実なのであれば、それは病院到着から死亡直前まで5時間近く蘇生処置を継続していた結果であり、それで家族が少しでも慰められたのであれば何も言うことは無い。

 

 

 

安倍さんは、自分の政治家人生を振り返る時間が一瞬でもあっただろうか。

 

 

とまれ、友でも敵でもない一人の政治家の死によって、何かが変わることを余儀なくされると思えてならない。

 

 

 

 

2022年07月10日