私には、年子の姉がいます。

 

小児水頭症に対し1980年代に何回も脳外科手術を受けた過去があるため、今でもその後遺症があります。とは言え元気に走り普通に日常生活を送っています。

 

何かの’後遺症’といえば、一般的に神経痛、運動障害、言語障害、聴覚障害、麻痺、奇形、精神障害などを想像されると思います。姉の後遺症は、端的に表現すればIQ低下です。

 

幼稚園から大学まで通い、現在は書道家として励んでいますが、その姿を他人が客観的に見ただけでは、この種の後遺症を見抜くことはできないかもしれません。なぜなら、身体は健康的で、客観的な容姿にも大きな異常は無いからです。姉の障害は、一般的に『容易に出来ること』が『少しずつ出来ない』という障害なのです。

 

(姉. 書道入選の賞状を手に.)

 

幼稚園の時は、平均台を渡れずケンケンも上手にできませんでした。小学校の時は、クラスの皆で行う行事(自分の役割)を完璧に覚えられず外れた行動をとることもしばしばでした。中学校の時は、授業内容がほとんど理解できないため3年生に進学する際に’養護学級’への移動を打診されました。高校の時は、電車を乗り継いで1人で通学できるようになるまでに数か月かかりました。大学の時は、年頃のお洒落を上手に行うことが出来ず周囲の学生から奇異な目で見られることもありました。

 

今でも分数や小数の計算はできますが、微分積分など中学から高校数学レベルは理解することが出来ませんし、日本の首相の名前など’常識’と言われることを認知できません。このような状態で社会に出ると、必然的に、学校でいじめを経験することになり、社会的な居場所がなく追いやられるという現象が起こります。

 

そんな姉と年子で育った私は、幼少の頃は姉と共に行動する中で『何となく私の姉は周囲の人間と違う』ことを随所に感じ、成人となってからは世間から姉への温かい対応や辛辣な仕打ちの両方を見ることになります。その度に、様々な感情が交差し、考えさせられ、恐らくこの先も良いにつけ悪いにつけ翻弄させられるのだろうと思います。

 

姉が存在するのは、生物学的には、勿論 父と母が存在したからなのですが、今の姉が在るのは母の教育の賜物です。

 

幼少の頃、母に『遠くの方から、あなた(私)と玲奈(姉)が私(母)の方に向かって走ってきた時、私は玲奈しか見えていない。』と言われたことがあります。私はその瞬間、とてつもない安心感と心強さを得ました。無意識に、常に姉の事を注視している生活を送っている中で、時にそれに疲れ、幼いが故に姉の存在を恥じていた頃もある多感な時期に、母が姉を全身全霊で守っていると断言してくれたことは、本当に救いでした。

 

今もこれからも、姉と共に歳を重ねる…。随所にしみじみと、私という人間の性質は、姉の存在ゆえに形成されたモノだと感じます。

 

もしも私が玲奈ちゃんという姉を持っていなかったら、世間の厚情も非情も実感することなく、他者への万謝も憎しみも持つことは無かったでしょう。思えば人間臭さが欠落した私にならないよう導いてくれたのは、玲奈ちゃんでした。そして玲奈ちゃんの存在があるからこそ、諦めではなく、身体的能力の限界は’有る’と言い切ることができ、その分だけ他者に優しくなれる自分がいることに気付かされます。競争社会である現代に生き、時に他者を蹴落とすような言動をすることがあっても、どこかで歯止めを効かせることができるのは、玲奈ちゃんの存在あればこそと実感します。

 

 

私の姉は玲奈ちゃんであり、その事実を思うに奇跡的であり、私たちの姉妹関係は、終生に至り宿命であると思っています。

 

 

2020年05月10日