真珠湾攻撃から80年が経過。
日本時間で1941年の12月8日(今日)、旧日本軍がハワイ・オアフ島の真珠湾を攻撃し太平洋戦争が勃発した。ニイタカヤマノボレの合図とともに決戦の火ぶたが切られた。
宣戦布告の最後通牒が真珠湾攻撃終了後(1時間ほど)であったことから騙し討ちであったとも言われている真珠湾攻撃だが、その他にもルーズベルト大統領(米国)の陰謀論、チャーチル(英国)の陰謀説など様々な評価がある。どちらにしても当時、日本の外務省と各国の大使館の間で行われた暗号通信は米国には筒抜けであり、9割がた解読されていたという。
野村大使のタイピングがもっと上手で、英文の通告があと数時間早くハル国務長官に手渡されていれば、真珠湾攻撃は避けられた事態だっただろうか?例えばその時インターネットが普及していたとしたら、太平洋戦争は起こらなかっただろうか?いや、既に様々な思惑が渦巻いていた世界大戦であり、そう単純ではないであろう。
歴史に’もしも’なんてナンセンスだと思いつつも、ついぞ想像してしまう…。
戦争経験者でない私が太平洋戦争の何たるかを論じる資格は無いが、亡き(母方の)祖父は確かに『負けるべくして負けた戦争であった。』と言っていた。ソ連で日本人捕虜としての生活を送る中で、ロシア人女性が堪能な日本語で日本人捕虜の世話をしていたことから、また、日本の状況が各国に筒抜けであったことを目の当たりにしたことから、日本の近代化の遅れを肌で感じたと言っていた。
ソ連に抑留された後、戦後は三菱マテリアルに勤め、端島の天皇と謳われた軍艦島の(最後の)砿長の任を受けた祖父は、とても勉学が好きな人だった。ソ連抑留中はロシア語を学び、現役引退後は若者に交じって英語を学んでいた。20代は戦争に明け暮れ、その後は戦後の朝鮮戦争特需を物にし、また、炭鉱事業の指揮をとりながら労働紛争の裏も表も知り尽くし、それは怒涛の人生ではあるが、私からすれば、とても人間臭い生き様に感じ羨むべき人生だ。
(長崎の端島. 通称:軍艦島.)
ところで最近、中高生の姉妹を子供に持つ30歳代のお母さんに『今の子供たちってAI(人工知能)の時代になっているから仕事を探すのも大変ですよね。人に聞いたんですが、これからは薬剤師さんとかも必要なくなるって…。近い将来そうなるんでしょうか?』と質問された。
何でも機械化されることを想定し、今後、子供たちに要求されるであろう仕事がどんな性質のものかを憂いているという親心だ。
彼女に対しては、薬剤師さんの仕事とは医師が処方した薬を患者さんに手渡すだけが仕事ではなく、薬の開発をはじめ医療に欠かせない分野の研究をしていることを前置き、現時点で薬剤師さんの仕事がAIにとって代わられることは無い旨を説明した。
現代のAI技術では自らの意思を持つには程遠く、所詮、AIは手段でありデータ次第で挙動が変わる側面を持っている。人間の脳は運動や言語の中枢であり、したがって、私たち人間は小さな弱い赤ちゃんを程よい力で抱くことができ、あるいは言語でコミュニケーションをとることができる。しかし、ある私の患者さん1人の介護すら、現在の精巧なロボットの技術をもってしても不可能である。AI搭載のロボット開発は盛んで面白い分野であり、その発展は素晴らしいと感心するが、現時点で人間の代わりとなるものではない。
ロボットといっても機械が自動的に手術をするわけではありません。医師が内視鏡画像を見ながら操作します。ダヴィンチシステム独自の機能で、手振れが防止されるという利点があります。研修医の頃、前立腺癌のダヴィンチ手術に立ち会った時、手術室の端っこにデモ用の機械が置いてあったので、私も機械をいじってみたことがありますが、確かに普通の内視鏡よりも思い通りに操作しやすい感じがしました。
確かに現代社会においては、ハングリー精神を持つことであるとか、戦後のどさくさで成り上がり逆転劇を起こすような芸当は困難な社会だ。やるべきことが転がっているわけではなく、また、やるべきことがあったとしても細分化され専門性が高く複雑で難解な事柄が多い。
大事なことは、想像力と創造力を養うことだと思う。世の中がどう変わろうと人間の本質はさほど変わらないのだから、要は自分次第だ。
戦争の悲惨は知れたことであり、決して善しとすべきものでは無いが、『ニイタカヤマノボレ、カクインイッソウドリョクセヨ!』なる暗号電報の文面には、大和魂ともいうべく矍鑠たる意志を感じる。そして私も祖父のように、何かしら確実な足跡を残したい。
今年1年も走るように終わりつつある。まだ何も達成していないからこそ、来年も粛々と奮起しなければならない。