パリオリンピックの体操競技を見逃したことが悔やまれてなりません…。リアルタイムで日本勢を応援したかった…。
NHK
私の体はガチガチで、まともな開脚もできなければ鉄棒で逆上がりもできません。しかし、体操競技を見るのは好きなんです。自分と同じ骨格筋を持っているのに信じられない運動が成され、しかも美しさまで評価の対象になる。国どうしでそれを争うなんて面白いじゃないですか。
よくよく考えると世界のおよそ200国地域が一堂に会する機会って、オリンピック以外に無いように思う。国際連盟あるいは医療にとって馴染みがあるWHOなどの加盟国でさえ、現在のところ200ヶ国には到達していなかったと記憶している。国際間で色々と深刻な問題はあるけれど、私が現在いる環境や立場からすれば、呑気に『頑張っている人の姿って美しい』って感動できるあたり、やはりオリンピックの様は平和だと感じます。
それにしても今回のパリでのオリンピックは色々と言われていましたね。インターネット上では、開会式の段階で衝撃的な映像に対するコメントが溢れており、何とも言えない空気が流れていました。
開会式にて. マリーアントワネットに変装した歌姫が、切り落とされた首を手に持って歌う演出.
日刊スポーツ
1793年、フランス革命の象徴としてフランス国王ルイ16世と王妃マリーアントワネットがギロチンで処刑された。フランスで生じた革命は、フランスの歴史的遺産であることを改めて思った映像だった。ギロチンはその時代ではフランスに限らず普通の死刑方法であり、白昼堂々の公開処刑で断頭台に首を晒された人間が数多いことは周知である。けれど、この映像がトラウマになる子供たちもいるだろうことは想像に難くない。
WIKIBOOKS
ロシア革命で演説するレーニン
フランス革命は近代史において世界の政治地図に決定的な影響を及ぼし、第一次世界大戦を背景としたロシア革命に並ぶ歴史の節目と言えると思う。革命は、価値観や思想を武器に短期間で社会が大変革する驚異的な出来事であり、国単位で革命の煽りを避けられないことは歴史の流れが証明している。とまれ革命は、否応なしに人の人生を左右する。強烈な価値観や思想というのは自然に個々人にまで伝染しやすく、現に、ネット上での世界のあらゆる出来事・誹謗中傷・株取引・スポーツや芸術鑑賞に至るまで膨大な情報を瞬時に簡単に見聞きできる今、自分の価値観や思想と思いきや、実は誰かが言っていた考えを模倣しているだけかもしれないとさえ思う。
開会式にて. 絵画『最後の晩餐』のパロディーであると物議を醸した演出.
産経ニュース
確かにレオナルド・ダ・ヴィンチの作品『最後の晩餐』を模したように見える。私は無宗教なのでキリスト教を嘲笑しているなどと腹立たしく思うことは無いのだが、非難する人々の感情は優に想像できた。
Quora
絵画『最後の晩餐』の説明図
美術的知識や宗教観念は無い私だが、レオナルド・ダ・ヴィンチの作品は至極壮大なテーマが描かれていると感じます。1498年に完成したとされる『最後の晩餐』について、2000年代になってパンを五線譜に置くと厳粛な鎮魂歌になると言う人がいたが、この作品1枚の中に、キリスト教というテーマに加えて音楽という果てしないテーマも加わってしまった。この世に音楽が無かったら、何と無味乾燥な世界だったろうと思いつつ、人間が存在する以上 音楽が生まれたことは必然であったとも考えられ、アリストテレス以来に未だ論争されている、物事が存在することの意義=存在論にも発展するテーマだと思う。
ちなみに私は1510年にラファエロが描いた『アテナイの学堂』という絵が大好きです。好きすぎて当院の廊下に飾っています。
この絵の中には、プラトン、アリストテレス、ピタゴラス、ソクラテス、ヘラクレイトス、ユークリッド、プトレマイオス、作者本人であるラファエロなど、錚々たる顔ぶれが描かれています。また、プラトンはレオナルド・ダ・ヴィンチをモデルにして描き、ヘラクレイトスはミケランジェロをモデルにして描いたとされています。学堂の建築様式も圧巻ながら、人類の知恵と芸術と宗教を体現した人々の集会とは豪華絢爛であり、個々の人物の顔をじっと見ていると深い教養を得た心地になります。
価値観や思想と言えば高尚だが、とどのつまりは、迷った時に悔いが残らない方を自分で選ぶことだ。幸か不幸か多様性を尊重することが流行している今、革命が生じるハードルは高く、倫理を逸脱していない限り、誰がどの方向へ向かおうと非難されることは稀だ。雨をしのげる傘を持ちつつ、自分で決めた方向に自分の足で歩いていく。それが、その人の宗教だと思う。