『若者』を辞書で引くと『歳の若い、元気のある人たち』と記載されている。
ここ最近は、あまり病院に縁がない若者が病院にやって来る。周知であるようにワクチン接種でやって来る。今年5月から毎日、新型コロナウイルスワクチン接種をクリニックで行っているが、やっと若者に順番が回ってきたワクチン接種。
普段の診療では心身を病んでいる人、持病がある人と対峙することが多いのだが、ワクチン接種をしに来院される若者は、往々にして元気だ。
ワクチン接種の優先順位として、感染リスクが高い人や感染後の重症化が大いに懸念される持病がある人が優先されることについては、全く異論はない。感染を恐れ、戦々恐々とする人たちの気持ちも、十分理解できる。そして、現状のワクチン接種の体制についてのジレンマや不満もある。
しかしそれらを払拭しきって、あるいは自分のことに一生懸命で、勢いよくワクチン接種をしに来る若者を見ていると、ワクチン接種を施す立場として、単純に嬉しくなる。
ワクチン接種をする人は、すべからく病気になりたくないと思っている。実際に『感染したくない』と言ってワクチンを接種する方が多い。
けれど良い意味で病が日常に無い若者は、そうは言わない。
『勉強している最中なので左手に打ってください!』と感染リスクよりも副反応による勉強の遅れを重要視される30代の方、『仕事の合間に来ました!』と汗だくの銀行員の方、『妊娠37週目です』と笑顔の妊婦さん、『柔道部だけど、入試モードに入りました』と言う中学生…。
清々しい人たちだ。
医療現場では、患者さんの緊急性と重症度が高ければ優先されるが、そうでない場合は当然ながら平等に扱われる。例えば極端な話、当クリニックに天皇陛下が来院されたとしても、緊急性がなければ、陛下も順番をお待ちいただくことになる。陛下よりも先に受付された患者さんを、陛下よりも先に診察する。
今回のワクチン接種に優先順位はついているけれど、医療現場においては救命が第一であり そのための優先順位は守られるべきだけれど、それは、命の重さの順列ではない。
私というちっぽけな者であれ、天皇陛下であれ、もしも存在しなかったら確実に何かが狂う。
(マッカーサーと昭和天皇)
何かが狂ってもそれに準じた未来は存在するだろうが、それは、今、日々の具体を生きている者にとっては与り知らない未来である。