伝統と革新
  1. 最近、19691970年に制作された ‘橋のない川’ という古い映画を見ました。
 
内容は省略しますが、舞台となるのは日露戦争時代(明治末期)の、とある農村です。映画のタイトルが映し出される前の数分間(映画のイントロダクション部分)10歳くらいの少年たちが、田んぼの畦道を歌いながら列になって並んで歩くシーンがあります。着物姿に草履を履き、学生帽をかぶり竹竿をもって、力強く声高らかに、日露戦争に参加する兵隊さんを応援する軍歌のような歌を歌いながら歩くシーンです。
 
その時私は『え?!この曲 知ってる!だけど、どこで聞いた曲かしら?』と頑張って思い出そうとし、突如『あ!』と思い出したのです。私が高校時代に歌っていた歌でした。正しくは、高校の『応援歌 歌集』の中の一節で、歌詞は違えど、同じフレーズだったのです。
 
 
私の母校では入学直後に『応援歌練習』という名の指導を受けます。放課後、長ラン(裾の長い学生服)姿に下駄を履いた応援部の3年生男子の号令に従い、素足で両手を腰に当て、2拍子のリズムに合わせて体をそらせながら、叫びながら校歌(館歌)や応援歌を歌うのです。
 
 
伝統と革新・・・
 
 
私は当時、その応援歌練習は、ことさら異様な伝統と感じたものです。
 
私の母校は今年で創立236年にもなる古い学校ですので、校歌(館歌)や他の応援歌も歴史を感じる曲調ばかりで、正直なところ、現代においては時代錯誤だと感じる歌詞も含まれていました。
 
 
上記のように『皇国の為に 世の為に~』なる歌詞もあることから、高校3年間を通じて絶対に 歌わない姿勢を崩さない生徒もいたほどです。当然、生徒は国家公務員でもありませんし、歌わないことが法や校則に触れるわけではないため、歌うのも自由、歌わないのも自由です。
 
 
ただ、様々な考えがあろうとも、現に100年近く生徒に歌われ、これからも歌われ続ける。それが伝統というものなのだと、知らぬ間に教示されました。そして不思議なもので、伝統を継承し、それを後世に伝承する立場であれば、その伝統に安心感や懐かしさを伴っているが故に、また、己の歴史を常に肯定したいが為に、未来永劫、その伝統が続くことを願ってしまう衒いがあります。
 
 
しかし時代が移り変わる度に、様々な事が多方向に流動していく中では革新が生じることも自然であり、人間生活を営んでいれば、尚更、至極当然に様々な事が淘汰され変化します。
 
 
伝統と革新の帳尻を合わせるには、前提として伝統を破棄することの畏れを知り、革新に対しては真剣勝負で責任をもって臨むことが肝要であると考えます。革新の理想の形とは、良き伝統が進化したものであると言えるかもしれません。
 
2020年06月10日