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選挙

 

 

アメリカ大統領選挙中のこの頃。
 
 
考えたら内閣総理大臣指名選挙、知事選挙、市長選挙、生徒会選挙、PTA役員選挙、地域役員選挙、教授選挙など色々な選挙がありますね。
 
自分が立候補したり投票したりと積極的に参加する選挙もあれば、突き詰めれば自分も関わってはいるものの対岸の火事のように思えてしまう選挙もあります。また、往々にして大規模な選挙戦というのは白熱し、自分と直接的に関係する選挙では様々な思惑が渦巻きます。
 
 
だけど例えば『鉄腕アトム』対『マジンガーZ』なんて意味の無い選挙があっても面白いと思う。ということで今回は、勝手に選挙を催し独断で投票させていただきます。
 
 
第一戦:鬼滅の刃VS千と千尋の神隠し
 
興行収入でせめぎ合っているが、個人的にはジブリ作品に軍配が上がってほしい。
 
 
第二戦:AKB48 VSおニャン子クラブ
 
私はモーニング娘の世代だが。結果予測を立てるなら、数の論理から優勢なのはAKB48か。けれど、どちらが勝とうと真の勝者は秋元康ただ一人。
 
 
第三戦:金城武VS木村拓哉
 
間違いなく、金城武に票を投じる。格好いいから。以上。
 
 
第四戦:明石家さんまVSビートたけし
 
一緒に飲みに行く機会があるなら…と変換して考えたら、さんま。酒を酌み交わしながら始終 笑わせてもらえるなんて楽しすぎ。そもそもビートたけしは好きじゃない。
 
 
第五戦:越路吹雪VS美空ひばり
 
かなり迷う。越路吹雪の声には類稀な色気を感じるからずっと聞いていたいし、美空ひばりの唄の歌詞には心揺さぶられる。
 
 
第六戦:織田信長VS豊臣秀吉
 
カリスマ性という点では同等と思う。成り上がりから天下をほぼ手中に収め、後の豊臣家の衰退を知らぬ間に老衰し幸せだったであろう秀吉だが、どちらかの人生を代わりに生きられるとしたら…波乱万丈で豪快な信長を選ぶ。
 
 
第七戦:スターリンVSヒトラー
 
彼らの主張を聞いたところで結果的には無記名投票するが、彼らの本音や根底にある倫理観念などの思考回路については興味がある。しかしそれらは、彼らの母親か愛人か真の友人にでもならなければ知ることは出来ないだろう。因みに各々の政権が虐殺した人数を比較すると、スターリン政権の方が多いようだ。
 
 
第八戦:アインシュタインVSニュートン
 
ニュートン力学を経た歴史があってこその特殊相対性理論だと思う。特殊相対性理論の端を発したアインシュタインは天才と思うが、1600年代に慣性の法則を含め運動方程式や万有引力、さらに微分積分法を若干20歳代で見い出したニュートンもまた天才的と言える。ニュートン力学に加え光速度不変という原理が加わり導かれた特殊相対性理論は、宇宙の未知の解明につながるであろう浪漫を感じるため、この選挙は連記投票とする。
 
 
第九戦:ベートーベンVSモーツアルト
 
偉大な音楽家であるにもかかわらず共同墓地に葬られたモーツアルトの人生は、インパクトが絶大。ゆえにモーツアルトの曲は全てがドラマチックに聞こえる。『キラキラ星♪』でさえ天才の悲哀を感じ、遺作である『レクイエム』に至っては未完成であり、もはや聖域の様相。よってモーツアルトに一票。
 
 
第十戦:キリストVSブッダ
 
良し悪しでは投票できない、壮大な選挙である。個人的にはキリストの主張は理解するのが難しく、逆にブッダの主張は理解しやすい。自然ありきの神、神があっての自然、どちらかと言えば前者の方が理解しやすい。理屈では選択できず、結局、日本国で日本人として生まれた習性が、無意識にどちらかへ誘導する気がする。
 
 
 
因みに私は消極的な質であり、小学校の時の班長にすら立候補したことはありません。
 
 
2020年11月02日
人類は感染症と戦っている
  1.  
感染症関連の記録いついては、古くは古代エジプト文明や古代メソポタミア文明のものが存在することを知っていますか?
 
疫病(はやり病)として恐れられ、祈ることで回避しようと神事が行われていた太古の様子を想像すると、何となく現代の私たちにも理解できる感覚だと思います。
 
感染症の歴史を紐解くと、命を脅かすモノの怖さから医学の進歩があるということ、また、感染症は社会経済や文化に多大な影響を及ぼすものであるということを実感します。昔も今も、未知の感染症によって人類の社会経済的な営みが左右され、同時に医学が一歩前進するきっかけにもなっているのです。
 
今回は、そんな感染症についてのお話です。医学的に詳しいことはさて置き、少しでも興味を持っていただければと思います。
 
(手塚治虫『ブラックジャック』より)
 
 
そもそも、あらゆる感染症の原因って何でしょう?
➡︎ ズバリ病原微生物です。医学では病原微生物は、細菌、ウイルス、真菌、寄生虫などに分類されます。
 
では、人類が病原微生物を認識したのはいつ、どういう経緯なのでしょう?
➡︎ 感染症の『伝染性』が発見され『隔離』が感染拡大を止めると言われたのは1020年頃で、その後、何らかの微生物が人間の体内に侵入して感染症を発症するとの仮説が立てられました。そして医学で特に有名な出来事が、1680年代のレーウェンフックによる光学顕微鏡 (私たちが普通に知っている顕微鏡) の発明です!これにより、人類は初めて 細菌という病原微生物を肉眼で見られるようになったのです!!ちなみに 細菌を意味する ’bacterium’ とういうラテン語が出現したのは1830年代です。つまり、19世紀以降になってからやっと、世界中の学者らが地道に探して病原微生物を発見してきた歴史があるのです。
 
皆さんは、どんな病原微生物を知っていますか?
➡︎ 以下は、19世紀20世紀初期に発見された病原微生物の一部です。※医学では特に細菌学や解剖学などではラテン語を使用します。
 発見年代
 病原微生物
 病名
 1875
 Mycobacterium leprae(らい菌)
 ハンセン病
 1880
 Plasmodium
 マラリア
 1883
 Vibrio cholerae(コレラ菌)
 コレラ
 1884
 Clostridium tetani(破傷風菌)
 破傷風
 1898
 タバコモザイクウイルス
(人類初のウイルス発見)
 
 1894
 Yersinia pestis(ペスト菌)
 ペスト
 1898
 Shigella(赤痢菌)
 細菌性赤痢
 1905
 Treponema pallidum
 梅毒
 1906
 Bordetella pertussis
 百日咳
 1909
 Salmonella enterica subsp
 腸チフス、パラチフス
 
(池田理代子『栄光のナポレオン』より)
 
 
現在、様々な細菌やウイルスが発見されていますが、問題となるのは①『未知な感染症あるいは、局地的または国際的にある地域から他の地域へ急速に広がりつつある感染症』②『既に知られているが、最近、再び問題となってきた感染症』でしょう。
 
医学(公衆衛生学)では①のことを新興感染症、②のことを再興感染症と分類します。
 
近代に発見または確認された主な新興感染症には、例えば以下のようなものがあります。聞き覚えのある感染症もあるのではないでしょうか?当然、最近 発生した新型コロナウイルス感染症(COVID-19)も、新興感染症の歴史の一部になります。
 
 年代
 病原微生物 
 病名
 1976
 エボラウイルス
 エボラ出血熱
 1980
 HTLV-1
 成人T細胞白血病
 1981
 HIV
 エイズ
 
 ヘリコバクターピロリ菌
 胃潰瘍
 1982
 病原大腸菌O-157
 溶血性尿毒症症候群
 1986
 プリオン蛋白
 ヤコブ病、狂牛病
 1989
 HCV
 C型肝炎
 1992
 コレラ菌O139
 新型コレラ
 1997
 鳥インフルエンザウイルス(H5N1)
 新型インフルエンザ感染症
 2003
 SARSコロナウイルス(SARS-CoV)
 SARS(重症急性呼吸器症候群)
 2009
 インフルエンザウイルスA(H1N1)
 新型インフルエンザ感染症
 2012
 MERSコロナウイルス(MERS-CoV)
 MERS(中東呼吸器症候群)
 2013
 鳥インフルエンザウイルスA(H7N9)
 新型インフルエンザ感染症
 2019
 SARSコロナウイルス2(SARS-CoV2)
 COVID-19
 
(アフリカ西部のエボラ治療センターにて。錯乱状態に陥った男性患者を保護するスタッフ。2015年 National Geographicより)
 
 
では、現在までに発見されている病原微生物を退治する方法(治療薬)が、果たしてどれだけあるのでしょう?
➡︎ 病原微生物の最初の発見は 細菌であり、19世紀初期であると前述しました。感染症に対する世界最初の治療法というのは、その 細菌を退治する抗菌薬(抗生物質)の発見でした。それこそが、20世紀に入ってからの1929、フレミングが発見したペニシリンです!その後、有難いことに医学研究者らの努力により、着々と抗菌薬が開発されてきました。皆さんご存知、ちょっと昔までは不治の病とされていた結核は、1960年代になって初めて結核菌に対する抗菌薬として抗結核薬が開発されました。そして、ある抗菌薬が多種の細菌に奏功するような広域抗菌薬の開発なども進み、現在進行形で医療に使用され恩恵を被っているのです。
 
一方、細菌だけでなく ウイルスに対する治療薬(抗ウイルス薬)も同様、常に開発を試みられています。ウイルスは細菌よりも小さいため、その発見や構造については細菌よりも遅れて、電子顕微鏡などの高度な顕微鏡の開発や遺伝子工学の発展により明らかにされていくことになります。
 
当然ながら、治療薬が無い病原微生物もたくさんあります。というよりも、ある種の細菌やウイルスに対してのみ治療が可能なわけであり、治療薬が無い病原微生物に感染し症状が出現した場合は、対症療法で対応するしかありません。対症療法とは疾病に対する根本治療ではなく、症状を和らげる治療のことです。発熱により頭痛や脱水を来していれば解熱鎮痛薬や捕液を投与したり、あるいは肺に炎症を起こして呼吸ができず血液循環も滞っている状態であればVA ECMOを回したり輸血をしたり…などの治療の事です。
 
よって残念ながら、治療薬やワクチンが存在しない感染症については、その開発を待つしかありません。
 
(手塚治虫『ブラックジャック』より)
 
 
コロナウイルス関連のお話〜
 
因みにコロナウイルスは、もともと『単なる風邪』の原因ウイルスの1つと位置づけされており、ライノウイルスやRSウイルス、インフルエンザウイルスなどと並ぶ、風邪症候群の原因ウイルスであると定義されていました。そして、これらウイルス性の風邪症候群の治療薬として現存するのは、インフルエンザウイルスに対する抗インフルエンザ薬のみです。現時点では、抗コロナウイルス薬や抗RSウイルス薬、抗ライノウイルス薬は存在しないのです。
 
まして遺伝子変異したコロナウイルスに対する治療薬は、存在するはずもありません。
 
 【新型コロナウイルス感染症】
2003SARSコロナウイルス(SARS-CoV)
  → SARS(重症急性呼吸器症候群)
2012MERSコロナウイルス(MERS-CoV)
  → MERS(中東呼吸器症候群)
2019SARSコロナウイルス2(SARS-CoV2)
  → COVID-19(2019年のコロナウイルス感染症)
 
そこで世界は、SARS発生時もMERS発生時も、今回のCOID-19発生に対しても、既存薬の転用を検討しました。それが、レムデシビル(エボラウイルス治療薬)、ファビピラビル(抗インフルエンザ薬:商品名 アビガン)、ロピナビル/リトナビル(HIV)、リバビリン(HCV)などの抗ウイルス薬や、クロロキン(抗マラリア薬)、イベルメクチン(寄生虫治療薬)などです。
 
当然、『とりあえず試してみよう』との安易な発想ではなく、2003SARSのパンデミック(世界流行)の最中に『どうやらAIDS治療中の患者(HIV薬投与中の者)は、コロナウイルスに感染しにくいようだ』との研究結果が発表されたり、SARSMERSの経験を契機にコロナウイルスに関する研究が盛んになったことで『既存薬はコロナウイルスに効果があるかもしれない』との仮定が立てられ使用されたりしたことで効果が期待される結果が出たりと、世界が新興感染症のパンデミックを経験した歴史があるからこそ、今につなげることができるのです。感染症のパンデミックこそが、薬理学的、細胞学的、微生物学的に複雑な研究が始動するきっかけになっているのです。逆に言うと、いつ現れるか分からない新たな遺伝子変異したような病原微生物に対して、アウトブレイク(感染症の突発的発生)が生じる前にワクチンや抗ウイルス薬を開発しようとすることは現実的ではないということです。
 
(手塚治虫『ブラックジャック』より)
 
遺伝子変異さえしなければ、単なる風邪症候群の原因ウイルスのまま世間で有名になることは無かったコロナウイルス…。
 
201911月末に中国武漢市において新型コロナウイルスとして遺伝子変異したコロナウイルス(SARS-CoV2)が発見された時、SARSMERS以来の新型コロナウイルスの出現に、世界は再び焦りました。しかし、経験から学び、挑み戦うしかないのです。
 
まずはSARS-CoV2の構造の詳細を解明し、既知のコロナウイルスとどう異なっているのかを調べることから始まります。そしてSARS-CoV2が発見されたと同時に、あれこれと研究や調査が行われ始めていた頃、20201に、クルーズ船 ダイヤモンドプリンセス号でSARS-CoV2感染者のクラスター(集団)が発生しました。即、船内の感染症患者をもとに、SARSMARSの症例と血液検査上のデータがどう違うのか、また、感染経路の追跡や感染様式(飛沫感染か空気感染かなど)の断定など、できる限りの情報収集と調査が行われました。
 
同時に(20201時点で) WHOCOVID-19について世界中に警鐘を鳴らしたことで、医療者は、コロナウイルスが体内にどう侵入し、体内でどう影響し臓器障害を及ぼすのかなど、単なる風邪症候群の原因ウイルスでしかなかったコロナウイルス感染の病態生理について、改めて見直すきっかけを与えられました。そして、遺伝子変異したコロナウイルスについてのデータ(既知のコロナウイルスとの構造の違い、感染力の違い、感染後の経過の違いなど)の統計や調査結果を待っていました。
 
そして現在に至り、様々な研究結果が続々と提出され、これからも追及されつつ、確たる治療薬や安全性が確立したワクチンの普及が待望されているところです。
 
様々な人が、感染症と戦っている〜
 
人類は常に医学の進歩を目指していますが、医学は万能ではありません。当然、可能なことと不可能なことがあります。だからこそ、可能な範囲で精一杯の医療を行おうとするのが、医師の役割りなのだと思います。
 
実際、新型コロナウイルス感染症として位置付けされているSARSMERSCOVID-19に対して現時点で可能な医療とは、前述した1020年頃より提唱された『隔離』と、重症化や死亡を回避させるための『対症療法』、そして『基礎疾患のコントロールを良好に保つこと』しかありません。幸いなことに遺伝子工学が進んでいることで体内のウイルス検出は可能なため、PCR法やELISA法といった既存のウイルス検出の方法で『○○ウイルスに感染しているかどうか』の判定は可能であり、ウイルス検出の検査をした者の中から、隔離すべき対象者を抽出することはできます。
 
現時点ではコロナウイルスに対する抗コロナウイルス薬が無いこと、そして新型コロナウイルス感染症の予後には大きな差があり(軽症~重症まで様々な経過を辿るデータが出ており)、また、新型コロナウイルス感染症は感染症法に則った分類でいう2類相当に指定されたままであるということも、医療現場での治療や環境を制限せざるを得ない要因になっており、医療者を悩ませているところです。一方、新型コロナウイルスに対するワクチンが続々と開発されていますが、医療に携わる多くの医師の本音として、有害事象が不明で安全性が確立していないワクチン接種の使用は躊躇され、自分にも患者さんにも、現時点では接種させたくないという思いがあります。自分や患者さんが人柱になって率先してワクチン接種をする対象になるのは避けたいと思う反面、ワクチンが普及することは期待しているという身勝手さは否めません。
 
そんなことを考えながら、20201、新年を迎えて当院で診療を始めると、2月頃から、大げさではなく、家庭内~近所~地域へと怒涛の勢いで広がっていく人々の不安感を垣間見ました。そして否応なく、医療の在り方や政府の対応に不平不満が集中し、地域~国~世界単位で様々な課題が持ち上がりました。
 
新型コロナウイルスに恐怖し、町から人が消え、経済が混乱しました。新型コロナウイルス感染者が差別的な扱いを受けることもあり、それは例えば、キリストが存命していた時にハンセン病患者が熾烈な差別を受けていたことを彷彿とさせ、あるいは、日本においてもハンセン病患者が悲惨な差別を受けていた事例を思い起こさせるものでもありました。
 
様々な人の、様々な立場での、生活基盤の崩壊や不安の助長。
 
それらは必然的に、個人的な事情のみを訴えたり個人的主観のみで行動する人を生み出しました。多くの事象を一気に解消する方法は一通りではないため、そして利害が一致しにくい事象であればあるほど、不公平さや不満が先行してしまうものなのだと感じました。
 
(1974年製作 映画『砂の器』より。原作 松本清張、脚本 山田洋次 他。出演者 丹波哲郎・加藤剛・緒形拳・森田健作・島田陽子・加藤嘉・佐分利信などの豪華俳優が出演しています。ハンセン病 云々もさる事ながら、『宿命』というメインテーマ曲も含め、おすすめの名作映画です。)
 
 
新たに病原微生物が発見される度に、臨床医は、医学研究 (医学統計、ワクチン開発、薬剤開発など)に注目します。そして研究に携わって努力をしている人に尊敬の念を抱きつつ、その成果(開発された治療薬やワクチン)にあやかり、普段の診療に応用します。
 
しかしその過程において、新薬の副作用や新ワクチンの有害事象の観点から、動物実験で成功しても臨床現場には応用しにくいことも多々あり、また、国や県の方針として感染症対策を講じても、現実的には臨床現場では通用しないことも多々あります。
 
身体に関わることであるが故に慎重にならざるを得ないということは、反面、大衆のニーズに至急には応えられない一面もはらんでいます。
 
 
私が出来ることは、私と私の周囲の人が感染症にかからないよう注意を払い、私の患者さんを助ける努力をし続けることだと思いました。医師として日本の保険診療の複雑な在り方に不満もあり、医療費の国家的問題も認識しているし、様々な法律や規則に則って診療しなければならないジレンマもあります。けれど私には、国家の方針を変えたり世界を救ったりする力はありません。自分に与えられた時間と自分が可能な行動範囲を加味すると、医師であることを武器に、私と私の周囲の人や目の前にいる患者さんを最優先で守るということしかできません。『人類が皆…』という高尚な境地には至っていない分、どうしても目の前の患者さんが優先されます。
 
けれど、それで良いのだと自分に言い聞かせ、粛々と診療をし続けることに意義を見出そうとしています。私の患者さんが心身ともに穏やかでいることに喜びを感じ、ふと『ありがとね』と言われることに小さな誇りを感じ、自分の存在意義を確認でき、明日へつなげることができます。答えが見つからない問題は、考え続けるしかありません。
 
(手塚治虫『ブラックジャック』より)
 
 
人類が感染症に勝利した歴史は、現時点では唯一、天然痘のみです。
 
(天然痘患者:WHO資料より)
 
1977にソマリアで確認された天然痘患者を最後に、1980WHOは天然痘根絶宣言を行いました。その後、天然痘ウイルスはアメリカやロシアのウイルス研究所に保管され、バイオテロや感染事故の危険性を回避すべく、ワクチン製造のための弱毒化ウイルスのみ保存されています。
 
天然痘が根絶宣言された理由としては①『抗体産生が一生持続する』②『抗原変異性が無い』③『人間にしか感染しない』ことなどが挙げられます。逆に言えば、ほとんどの病原微生物は、人類から根絶できないということです。
 
その事実を踏まえると、これからも感染症と戦わなければならない歴史が繰り返され、事あるごとに恐怖させられることが予想されます。
 
天然痘に対する戦いの歴史は、バイオハザードという名の惨禍、パンデミック 、予防、根絶、バイオテロなどの点において極めて感染症の典型であるとされました。そして人類が人種や国や宗教などの違いを超えて一致団結して天然痘根絶を成功させたことは、すなわち、人類が皆で協力すれば、明るい未来を切り開けるという可能性を示唆しました。
 
 
感染症と戦っている人類とは、今まさに、私たちの事を指します。テレビやタブレットの中だけの出来事ではありません。
 
物事の本質や事実を正しく知って、歴史から学び、自分で善悪や是非を考え、他者の迷惑にならないよう自分ができることを精一杯やるのみであり、感染症と戦うためには、他者との協力が必要不可欠なのだと思います。
 
感染症という疾病に、少し興味を持っていただけたでしょうか?
 
2020年10月01日

 

私には、妹がいます。

 

13歳下なので、妹との初対面は私が中学生の時でした。妹が生まれた日のことは、とてもよく覚えています。

 

母出産の報告は、私が電話で受けました。受話器を置いてすぐに父に伝え、父の運転で病院へ向かいました。

まだ夜の7時頃だったけれど11月だったので辺りは暗く、到着した病院内は静かでした。なので私たち(姉、私、弟)は病院に向かう車の中では騒いでいたけれど、流石に病院に入ると静かになり、ぞろぞろと足早に廊下を歩いてエレベーターに乗り込みました。上の階に上がっている過程で、父が『電話では無事に生まれたって言ってた?大丈夫かな?』と、私に問うてきました。中学生だった私は、こういった状況で’父親’かつ’夫’かつ’医師’である者が何を考えているかなど、気に留めることはありませんでした。車の中でもエレベーターの中でも、私に同じ質問をしてきた父。そんな父を適当にかわしながら、私は心踊る気持ちで妹との初対面に向かって行きました。

 

今まで度々、父(当院の前院長)が母のお腹にエコーを当て、家族皆でエコー画面を覗き込みながら『今日も心臓は ちゃんとポコポコ動いてる!』『間違いなく女の子だね!』『足が長い!』『美人な顔!』と確認し合いながら妹を見ていたけれど、エコー画面上でしか見たことがなかったので、やっと実物として見ることができる日であり、高揚感が最高潮に達していました。

 

 

初めまして。

今 出会ったばかりなのに、抱いただけで愛おしく思える。これが正に『血は水より濃い』ということなのでしょう。

 

 

何事も起こらず無事に母と共に退院してきた後は、お風呂に入れたり、おむつを替えたり、離乳食を食べさせたり…。私のベッドで二人でお昼寝をしたり、ヨチヨチ歩きになった時には二人で手を繋いで動物園に行ったり…。

  • (妹 3歳, 福岡市動物園にて)

 

私が高校に登校するついでに幼稚園バスの所まで自転車に乗せて送ったり、小学校や中学校の授業参観に参加したり、高校の卒業式も見届けました。

 

妹の成長は、全て私の頭に記憶されています。

 

そして健康に育ち、現在、妹は大学生。

  • (妹 大学1年生, 大濠公園にて)

 

ちなみに、このブログを書いている今日(2020/9/6)は、大型の台風10号が九州に上陸するとの予報があり、私は『当クリニックが吹き飛びませんように。』とソワソワしています。しかし妹は試験期間中なので台風の到来には無頓着で、医学生らしく病理学や微生物学、薬理学や免疫学の試験勉強に勤しんでいます。

 

唐突に『半減期が3時間の薬物が定常状態になるのは何時間後?』とか『あのさ~、クラススイッチって…』とか『カンジダとかクリプトコックスの…』とか『DICの記述問題で…』など質問してくるので、自然に台風接近の危機感を忘れさせられます。

  •  

早く言葉を喋らないかな~と思いながら腕に抱いていた赤ちゃん姿だった妹が、今となっては私と同じ分野の勉強をし、学び合えることは、時の流れの速さに驚き焦燥する反面、とても楽しいものです。

 

当然 13年という歳の差に世代の違いを感じることもあり、理解しがたい上に憤慨するような持論を展開してくることもありますが、一方で、新しい感覚を教わり、私が思いも寄らない解決策を提案してくれることもあります。どちらにしても私に’何か’を刻んでくる妹は、私にとって大きな存在であることは間違いありません。

 

そしてまた、感謝の念を抱く対象でもあります。

 

例えば、ある程度の年齢に達した兄弟姉妹それぞれが、家族内の放棄できない問題を、各々なりに背負うという事態は、どの家族にも有ることだと思います。

 

身長47cm、体重2708gで産まれてきた小さかった私の妹が、時を経て、私の悩みを一緒に抱えてくれているのだと知った瞬間、よくぞ同士として相応しく成長してくれたと感慨深く、同時に、これから先も私の心の拠り所になってくれると確信しました。

 

 

舞ちゃんは、私の妹。

舞ちゃんは、私の光。

生まれてきてくれて、有難う。

 

2020年09月06日
吉川英治から学ぶ倫理

 

今回は私が気に入っている小説を紹介させていただきます。世間的にも傑作であると称賛され、多くの方に愛され読まれている小説だと思います。改めて私が紹介するまでもなく有名な小説ですが、もしも読んだことがないという方は、是非、手に取ってみてはいかがでしょうか。

 

『宮本武蔵』吉川英治 著

 

様々な事に通じる真理ともいうべき提言が書かれていると感じます。だからこそ高校生の時、大学生の時、そして今、いつ読み返しても筆者の言葉に共感でき、満足することで深い感銘を受けるのだと思います。そして初めて読み終えた時は、さほど興味が無かった宮本武蔵に惚れ込んでしまいました (笑)。類稀な最高の男と出会える小説です。

 

医師としての私からでは無く、単なる知人からの薦めと思っていただき、特に、心も身体も深く病んでいる方へ届けたい小説です。

 

(以下、同小説の中の一部を抜粋しました。)

★怖いものの怖さをよく知っているのが人間の勇気である。

★人は満ちたりないものを感じるとき、さみしさが身に迫る。

★何千年何万年という悠久な月日の流れの中に、人間の一生の七十年や八十年は、まるで一瞬しかない。たとえ二十歳を出ずに死んでも、人類の上に悠久な光を持った人命こそ、ほんとうの長寿というものであろう。またほんとうに生命を愛したものというべきである。

★人間のすべての事業は、創業の時が大事で難しいとされているが、生命だけは、終わる時、捨てる時が最も難しい。それによって、その全生涯が定まるし、また、泡沫になるか、永久の光芒になるか、生命の長短も決まるからである。

 

 

2020年08月07日

 

私には、弟がいます。

 

3歳下で、父(前院長)が亡くなっている今では、家族内で唯一の’男’です。とはいえ私の感覚では、亡き父も弟も’男’というより『父という’性’』『弟という’性’』であり、解剖学的な男女の性差を除けば’男’と定義しにくい存在なのです。

 

誰しも一度は『男だから女の気持ちは分からない』とか『女だから男と同じことはできない』という台詞を耳にしたことがあると思います。確かに男女を比較する時、究極の状況では性差を加味しなければならないと思います。例えば、男は頑張っても子供を出産することはできないし、100mを世界最速で走りきることができるのはやはり女ではないと思います。つまり、持って生まれた身体的機能に依る事柄においては、男と女は比較対象にならないし、まして優劣をつけることはナンセンスであるということです。

 

私の弟は、小学生くらいの頃は同学年の子と比べて特別に大きな体格というわけではなかったけれど、いつの間にか筋肉がたくさん付いて、どちらかと言えば『体格が良い』と他人に言われるような容貌になっていました。それでもやはり私は、彼を’男’というより単なる’弟’としてしか定義できません。また、私たち(妹、弟、私、姉)が親から受けた教育は男本位でも女本位でもなかったため、実際、私が弟に対して『’男’だから○○するべきである』『’男’だから○○するべきではない』と何かを強要したことはありません。

 

当院診察室にて

(右:弟 形成外科医,九大病院勤務)(左:私)

 

ただし『’弟’だから○○できるようになって欲しい』『’弟’だから○○して欲しくない』ということは多々あります。それは、彼が持って生まれた機能(男女差があるとされる視床下部の一部の神経核の大きさが私よりも大きいであろうという解剖学的構造の違いや、テストステロンといった男性ホルモンの分泌量が私よりも多いであろうという血中ホルモン量の違い)について指摘しているのではなく、私が理想とする男’らしさ’に近づいて欲しいという、私の身勝手ともいえる望みなのです。

 

思い起こせば弟が中学生や高校生の頃は、突拍子もないお馬鹿な言動で何度も騒動を起こし、テロリズムに近いとさえ思ったこともありました。それから紆余曲折を経て、彼が30歳を過ぎた頃から、私には無い冷静さを持っている弟なのだと気付きました。私という女性が弟という男性に求めるものは、医学的見地の’性’をひけらかす姿ではなく、性の違いから生まれる男’らしさ’を兼ね添えた姿なのです。

 

冷静であるというのは、対峙する側に安心感や包容感を与えます。そうすると、自然と頼られることにつながります。私が何か困難に当たった時、解決策を見いだせずに焦って感情的になっている時、子供の頃と比べて複雑な問題が増えるに従い、弟に救われることが確実に増えてきました。

 

私にとっての健太郎は、頼もしい’男’ではなく、唯一無二の頼りがいのある’弟’です。そんな弟を持っている私は、幸運な姉貴です。

 

2020年07月01日
伝統と革新
  1. 最近、19691970年に制作された ‘橋のない川’ という古い映画を見ました。
 
内容は省略しますが、舞台となるのは日露戦争時代(明治末期)の、とある農村です。映画のタイトルが映し出される前の数分間(映画のイントロダクション部分)10歳くらいの少年たちが、田んぼの畦道を歌いながら列になって並んで歩くシーンがあります。着物姿に草履を履き、学生帽をかぶり竹竿をもって、力強く声高らかに、日露戦争に参加する兵隊さんを応援する軍歌のような歌を歌いながら歩くシーンです。
 
その時私は『え?!この曲 知ってる!だけど、どこで聞いた曲かしら?』と頑張って思い出そうとし、突如『あ!』と思い出したのです。私が高校時代に歌っていた歌でした。正しくは、高校の『応援歌 歌集』の中の一節で、歌詞は違えど、同じフレーズだったのです。
 
 
私の母校では入学直後に『応援歌練習』という名の指導を受けます。放課後、長ラン(裾の長い学生服)姿に下駄を履いた応援部の3年生男子の号令に従い、素足で両手を腰に当て、2拍子のリズムに合わせて体をそらせながら、叫びながら校歌(館歌)や応援歌を歌うのです。
 
 
伝統と革新・・・
 
 
私は当時、その応援歌練習は、ことさら異様な伝統と感じたものです。
 
私の母校は今年で創立236年にもなる古い学校ですので、校歌(館歌)や他の応援歌も歴史を感じる曲調ばかりで、正直なところ、現代においては時代錯誤だと感じる歌詞も含まれていました。
 
 
上記のように『皇国の為に 世の為に~』なる歌詞もあることから、高校3年間を通じて絶対に 歌わない姿勢を崩さない生徒もいたほどです。当然、生徒は国家公務員でもありませんし、歌わないことが法や校則に触れるわけではないため、歌うのも自由、歌わないのも自由です。
 
 
ただ、様々な考えがあろうとも、現に100年近く生徒に歌われ、これからも歌われ続ける。それが伝統というものなのだと、知らぬ間に教示されました。そして不思議なもので、伝統を継承し、それを後世に伝承する立場であれば、その伝統に安心感や懐かしさを伴っているが故に、また、己の歴史を常に肯定したいが為に、未来永劫、その伝統が続くことを願ってしまう衒いがあります。
 
 
しかし時代が移り変わる度に、様々な事が多方向に流動していく中では革新が生じることも自然であり、人間生活を営んでいれば、尚更、至極当然に様々な事が淘汰され変化します。
 
 
伝統と革新の帳尻を合わせるには、前提として伝統を破棄することの畏れを知り、革新に対しては真剣勝負で責任をもって臨むことが肝要であると考えます。革新の理想の形とは、良き伝統が進化したものであると言えるかもしれません。
 
2020年06月10日

 

 

私には、年子の姉がいます。

 

小児水頭症に対し1980年代に何回も脳外科手術を受けた過去があるため、今でもその後遺症があります。とは言え元気に走り普通に日常生活を送っています。

 

何かの’後遺症’といえば、一般的に神経痛、運動障害、言語障害、聴覚障害、麻痺、奇形、精神障害などを想像されると思います。姉の後遺症は、端的に表現すればIQ低下です。

 

幼稚園から大学まで通い、現在は書道家として励んでいますが、その姿を他人が客観的に見ただけでは、この種の後遺症を見抜くことはできないかもしれません。なぜなら、身体は健康的で、客観的な容姿にも大きな異常は無いからです。姉の障害は、一般的に『容易に出来ること』が『少しずつ出来ない』という障害なのです。

 

(姉. 書道入選の賞状を手に.)

 

幼稚園の時は、平均台を渡れずケンケンも上手にできませんでした。小学校の時は、クラスの皆で行う行事(自分の役割)を完璧に覚えられず外れた行動をとることもしばしばでした。中学校の時は、授業内容がほとんど理解できないため3年生に進学する際に’養護学級’への移動を打診されました。高校の時は、電車を乗り継いで1人で通学できるようになるまでに数か月かかりました。大学の時は、年頃のお洒落を上手に行うことが出来ず周囲の学生から奇異な目で見られることもありました。

 

今でも分数や小数の計算はできますが、微分積分など中学から高校数学レベルは理解することが出来ませんし、日本の首相の名前など’常識’と言われることを認知できません。このような状態で社会に出ると、必然的に、学校でいじめを経験することになり、社会的な居場所がなく追いやられるという現象が起こります。

 

そんな姉と年子で育った私は、幼少の頃は姉と共に行動する中で『何となく私の姉は周囲の人間と違う』ことを随所に感じ、成人となってからは世間から姉への温かい対応や辛辣な仕打ちの両方を見ることになります。その度に、様々な感情が交差し、考えさせられ、恐らくこの先も良いにつけ悪いにつけ翻弄させられるのだろうと思います。

 

姉が存在するのは、生物学的には、勿論 父と母が存在したからなのですが、今の姉が在るのは母の教育の賜物です。

 

幼少の頃、母に『遠くの方から、あなた(私)と玲奈(姉)が私(母)の方に向かって走ってきた時、私は玲奈しか見えていない。』と言われたことがあります。私はその瞬間、とてつもない安心感と心強さを得ました。無意識に、常に姉の事を注視している生活を送っている中で、時にそれに疲れ、幼いが故に姉の存在を恥じていた頃もある多感な時期に、母が姉を全身全霊で守っていると断言してくれたことは、本当に救いでした。

 

今もこれからも、姉と共に歳を重ねる…。随所にしみじみと、私という人間の性質は、姉の存在ゆえに形成されたモノだと感じます。

 

もしも私が玲奈ちゃんという姉を持っていなかったら、世間の厚情も非情も実感することなく、他者への万謝も憎しみも持つことは無かったでしょう。思えば人間臭さが欠落した私にならないよう導いてくれたのは、玲奈ちゃんでした。そして玲奈ちゃんの存在があるからこそ、諦めではなく、身体的能力の限界は’有る’と言い切ることができ、その分だけ他者に優しくなれる自分がいることに気付かされます。競争社会である現代に生き、時に他者を蹴落とすような言動をすることがあっても、どこかで歯止めを効かせることができるのは、玲奈ちゃんの存在あればこそと実感します。

 

 

私の姉は玲奈ちゃんであり、その事実を思うに奇跡的であり、私たちの姉妹関係は、終生に至り宿命であると思っています。

 

 

2020年05月10日
嘘をつく日じゃない
  1. 今日は、個人的にとても嬉しいことがありました。
 
当院婦長の中道さんと当院事務長の永光さんから『41日の今日は、先生が201841日からここで働くようになってから、ちょうど3年目に突入する日です。』とのことで、お高いお弁当をいただいたのです。(しかも家族の分を含め3人前も!)
 
 
その意図するところは・・・
新型コロナウイルス関連の対応に追われていることや、診療報酬改訂に当たっての経営問題への対処など、普段の診療以外のことで齷齪(あくせく)している私を見かねて、精力をつけるよう激励して下さったのだろうと思います。
 
しかし・・・
私の方こそ『今後もよろしくお願いします。』と、頭が上がらない思いでいっぱいです。お二人の何に感謝しているか、何が有難いかを書ききることは、膨大過ぎて不可能です。
 
患者さんから『看護師さん』ではなく『中道さん』と呼ばれている婦長。開業時から、父(先代)と私を27年間ずっと支えてくれて、有難うございます。まだまだ教えてもらうことが残っているので、これからも一緒に悩んで一緒に笑いながら、ずっと一緒に働きたいと思っています。
 
受付けで、ベテランの患者さんから『あんた、ここに居るの長いね。』と言われていた永光さん。父(先代)も私も、負んぶに抱っこで申し訳ありません。当院の生き死には、永光さんの肩にかかっています。絶対に病気しないで下さい。もし病気したら、絶対に私が全力で救います。
 
 
当院自慢のお二人です。
 
本当に美味しいお弁当でした。
 
 
2020年04月01日
皆で頑張る!
  1. 新型コロナウイルスに対して…
  2.  
  3.  地球規模のパンデミックを心配する前に、今回のアウトブレイクを呪う前に、自分の身を守ることと、自分の行動範囲内に居る他者の身を案じることが、最も大事なことだと思います。
 
普段の悩み事などに対しては、結局 自分一人で戦わなければならないことが多いと思いますが、今の世の中の状況を打破するためには、周囲の人と協力して頑張って乗り切るしかない様に思います。
 
我慢して自粛して、自分がマスクを100枚使用せずに居られれば、否応なく交通機関を使用しなければならない地域の人に100枚のマスクが渡ることになるかもしれません。そうすれば、自分の生活圏内でクラスター(患者集団)を生まないことにつながるかもしれない…と考えてみるのはいかがでしょうか。
 
また、インフルエンザウイルスであれ、HPIVであれ、RSVであれ、遺伝子変異してしまったコロナウイルスであれ、ウイルス防御の観点から、免疫力を高めることは、大事です。
 
因みに、私は最近、家族と山に『つくし』を取りに行ってきました。少し肌寒かったけれど、良い具合に体が疲れて、爽快でした。
 

運動を許可されている高血圧症や糖尿病の患者さんには特に、人混みを避けた場所での適度な運動を継続してもらいたいです。マスコミ報道をとても気にされて家に引きこもっている方の中には、若干、血圧が上昇傾向となっている方もいらっしゃいますので、是非、自分の身を守りながら、自分の体を悪くしないように努めてください。テレビを見てばかりだと、不安や疲労感を生じて血圧も上がってしまいます。だから適度にテレビは放っておきましょう。

 
そして今更ですが、皆さん周知のように、手洗いやうがいは大事です。
 
思い立ったらいつでも行ってください。ただし特に女性の方は、手洗いによる手荒れが気になりますよね?けれど、ハンドクリームに付着したウイルスや細菌は除去されにくいので、ハンドクリーム使用は止めましょう。手が荒れても仕方がないと諦めましょう。今は、手荒れよりも手洗いを優先してください。
 
 
何事も優先順位を見定めて、各々が出来ることを粛々と行いましょう。
 
2020年03月15日
忠臣蔵
    1. 私は毎年、年末年始になると赤穂浪士 討ち入りの映画やドラマを見たくなります。もはや「これを見ないと年を越せない」というくらい大好きなお話です。(因みに、主演 片岡千恵蔵の映画「忠臣蔵」と、主演 三船敏郎のドラマ「大忠臣蔵」がお勧めです。)
 
 
これを見るたびに「私はやはり日本人だな…。」と、日本人固有の道徳観に浸り、忠、義、名誉といった武士道について考えさせられます。
 
武士道の名誉、それは現代の私たちが考える名誉ではなく、武士という名誉を惜しみ廉恥を重んじるという名誉。そして主君への裏切りや命への執着は、武士にとって恥辱であるという考え方。お殿様に忠義を尽くし、命をも喜んでささげるという武士の信念は、たしかに、ある時代にのみ通じることだけれど、死を見つめて生を充実させるという武士の死生観は、現代の私たちにも意義ある考え方だと教えられます。
 
(武士道に浸りたい時は、「宮本武蔵 (. 吉川英治)」という小説がお勧めです。)
 
とは言え、今を生きる私たちは簡単には死ぬ覚悟はできないし、それを求められる状況も少ない毎日です。また、現代においては病気、痛み、障害、死については病院や施設に追いやられており、普通の日常では武士の時代のように死を傍らに感じることも少ないと思います。
 
武士の時代は「個人の自由」という概念が乏しい時代だけれど、病院や施設に収容されることは無く、死を自ら選んだり自然に任せるのが一般的です。一方、戦後以降は個人の自由を獲得してはいるものの、病院で死を迎える人が増えています。双方を比較すると、現代の死は、ある種「管理された死」であるようにも感じます。
 
どちらにしても、死とは、家族や友人や恋人が 突然にこの世から消え、いつか自分も消えなければならないという現実。これは なかなか受け入れ難いものです。
 
けれど、この不条理を嘆いていても仕方がない…。そしてどんなに時代が進んでも人間は死に続けているのだから、その現実を慰めるために、自分なりの死生観を持ち、強く成長するしかないのだと思います。時に楽観主義であることも大事だけれど、真実に目を向け、厳しい現実に直面し それを克服するためには、強く生きていくしかないのだと思います。
 
恐らく死を前にしたら、日頃 社会において大切だと思われていることの多く(お金、モノなど)は価値を失うのだろう…。半面、大きな決断を手助けしてくれる機会でもあるかもしれません。死生観を考えることで生を実感し、人生の落とし穴を避け、全てが当たり前ではないことに気付き、感謝の心が溢れるのだと思います。
2020年01月04日